賞道とは
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触って鑑賞
デジタル復元で、色を元に戻して終わりではありません。レプリカを制作してからが本番です。
もともと日本美術は、美術ではありませんでした。襖絵は部屋を仕切るもの、屏風は風をよけたり間仕切りや目隠しとして使われ、絵巻物は鑑賞するものですが手で操作しないと機能しません。今のように、色あせた状態で、ガラス越しに、しかも触れない状態とはまったく違っています。
「最初の状態で鑑賞する」
実は、あたり前のことを実践してみるのが、「賞道」なのです。 -
環境も再現
しかし、これだけでは「最初の状態で鑑賞する」ことには、なりません。さらに環境も整えます。
むかしは天井からの照明はありませんでした。さらに庇の張り出した日本家屋は、陽射しが直接入らず、部屋はほの暗い状態でした。そのような環境の中で鑑賞しないと、本当の姿は立ち現れません。
「賞道」では、その多くを日本家屋の環境を再現して、鑑賞することを心がけています。常に日本家屋をお借りして、完全に再現することは難しいですが、カーテンを引いてろうそくの灯りだけで鑑賞するなど、本当の日本美術の姿に近づけるように努めます。それだけでも、大きく印象が変わります。 -
そして見立てる
日本美術は、こちらが手で触ったり環境を整えたりしないと、分からないようになっています。作品自体は、鑑賞する側の操作を期待するように作られています。
となると、鑑賞する側の操作次第では、見え方が変わったり、それから受ける印象も異なってくることになります。
つまり、その作品の印象を一回ずつ評価し、意見を交換する必要があるのです。評価する、となると作品を身ぐるみはがすような行為なので正しくありません。基本はきれいな着物を羽織らせる行為、「賞めたたえる」ことが重要で、それを「見立てる」という言葉で表現します。
「見立て」を繰り返すことで、鑑賞する力を高め、作家だけでなく鑑賞者も芸術家になりうることを体感していきます。自分の感性をみがき、それを日常生活に活かすこと、それが「賞道」の醍醐味と言えるでしょう。