今年は平安貴族の死生観を体験

6月6日から9日にかけて、今年も河内長野市立東中学校にて、学生向け賞道「国宝をべたべたさわろう」を実施してまいりました。

文化庁の「芸術家派遣事業」として、昨年に続いて今年もお招きいただき、がんばって参りました。
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昨年は、地元の国宝の「日月山水図屏風」を筆頭に、「高松塚古墳」、「鳥獣戯画」を持参して、体感する面白さをご紹介しましたが、今年はさらにぜいたくな趣向。なんと、雅楽奏者をお招きして、「山越阿弥陀図屏風」を使って、平安時代の儀式を再現してみよう、というものです。

その「山越阿弥陀図屏風」の儀式を極楽とするならば、地獄も体感しないと、死生観とはなりません。別室では「地獄草紙」をご用意して、そちらをロウソクの灯り(実際にはろうそく型LED)だけで鑑賞する体験もしていただきました。

「山越阿弥陀図屏風」の儀式ですが、これは葬式ではなく、死に瀕した貴族や高僧を「極楽へ送り出す儀式」なのが特殊です。
屏風はその名の通り、極楽浄土から迎えに来た阿弥陀様が、今まさに山の後ろから大きなお姿を現した様が描かれています。

特徴的なのは、その臨場感。阿弥陀様の印を結んだ手からは五色の糸が出ており、それは瀕死者の合掌する手に結ばれます。また、阿弥陀様の額には穴があいて水晶がはめられ、後ろから光が差し込む仕掛けになっています。その光をみつめて旅立つのです。

そして、耳でも臨場感を味わいます。雅楽の楽器、笙、龍笛、篳篥(しょう、りゅうてき、ひちりき)を奏でて、送り出すのですが、実際聞いてみると結構な音量と迫力。これは雅に送り出すのではなく、最期、「ありがとうございました、いってらっしゃい!」と背中を押す儀式なのが実感されました。

このように、実際体験してみないと分からない平安時代の死生観。
大人になって誤解された先入観が生まれる前の、感性の豊かな学生時代に経験してもらうことって、やはり大切だな、と再確認いたしました。