慈照寺 銀閣
やっぱり時間がかかる
いくら新書といえども、私の場合は文章を書いて終わりではなく、書いた内容を図解しないといけません。でないと「デジタル復元」とならないわけです。そんなことで最初の新書「日本の国宝、最初はこんな色だった」から近著「誤解だらけの日本美術」の間は、7年もの月日が流れてしまいました。
とりわけ時間がかかったのがこの「銀閣」。「日本の国宝……」でも立体CGの東大寺大仏殿の内観の復元図を掲載しましたが(他の作品は平面の画像処理が基本)、これは、NHKスペシャル「東大寺 よみがえる仏の大宇宙」で私が色彩監修をした関係で掲載を許可していただいたもので、今回みたいに一から自分でやるとなると、そうとうな覚悟で挑まなければなりませんでした。
かっこいいけれど……
苦労に苦労を重ねてできた銀閣。注目すべきは、庇とその周辺のド派手な色彩です。
確かに「かっこいい」ことは「かっこいい」。でも、どうしても違和感がありました。
色彩を復元して「ド派手」になることに慣れている私です。私が感じる違和感は、「わびさびの銀閣と違う」という違和感ではなく、「ひねりのないかっこよさ」に対する違和感です。
復元の姿を見てあまりにも「決まりすぎている」のです。
(この図は、完成手前の画像です。最終的には窓枠も黒漆で塗られ、障子の格子は内側になるため表面に出ません)
ここからも時間がかかる
日本美術の面白くも大変なのが、ここからの作業です。
「当時の人々が、(ド派手な作品を)どんな風に鑑賞していたか」という推察です。
いつも絵画ですと、まず意識するのが横からの光です。上からの照明がなかったころ、庇(ひさし)の長い日本家屋は、横からの光に浮かび上がる姿を堪能しました。
しかし、建築物は屋外にあるので基本は上からの光です。それでも太陽光でしたら、全体に光が行き渡りド派手な装飾も見えていたことでしょう。それでは「決まり過ぎている」。
しかし、銀閣が真価を発揮するのは、実は月夜です。光の具合は満月くらい。満月の光で銀閣の全体はくっきりと浮かびあがるのですが、しかし一番ド派手な庇の装飾は、深い陰影の中にあります。
これです、この塩梅なのです。
しかし、これだけでは終わらないことを、私は感覚的に知っています。日本人の美の探究心は、もっと「ねちっこい」といつも感じています。
もうちょっと色々とこだわってみたところ、銀閣の前にある池に月の光が反射し、庇の装飾をほのかにゆらつらと照らしていた……という推察に至ったのでした。
伝えたいこと
こういう推察をまるで事実のように表現すると、必ず「それはあなたの想像でしかない」「その色だったというのは推論のひとつ」という意見をいただきます。
それに関してはまったく異論はなく、本当に想像の世界です(必ず専門家の意見を取り入れてますから、根拠はありますが)。
一方で、昔の日本人が、美を楽しもうと工夫に工夫を重ねて、今の美術館での鑑賞とは違うやり方で、何倍も堪能していたことは事実です。その様子、スケール感、奥深さ、それこそ「ねちっこさ」を「実感」していただくための推察と私は考えています。
想像してみてください。銀閣を眺めながら、彼らはさらにねちっこく、
「やはり、満月よりも、十三夜の光の具合が好きだ」
「いやいや、十六夜も捨てがたい」
と、お酒をいただきながら、一晩中月を愛でていたに違いありません。どうでしょう、この豊かな時の流れ……。