「違和感の5%」方丈記的ブログ
久しぶりに雑誌を買った。しかも似たような傾向の二誌で、ひとつは「ソトコト」で、もう一つは「pen」である。
「ソトコト」の特集は、「日本の森で起きていること」。なぜか最近、林業をめぐるご縁が浅からず、林業の最先端を知りたくて、しかも”現代の庶民感覚”で知りたくて、思わず手に取った。
少人数で、林業をしているグループがある。本業を持っていて、その本業の閑散期を中心に林業をしている。これは非常に参考になった。
少人数で無理なく。ガッツリやらないで、でも収益は出る。山は生き続ける。これは理想的だ。もうひと段階進んで、「週末林業」なんてことができれば今風で面白い。
昔気質(かたぎ)の林業者は、「そんな甘っちょろいもんじゃない」と言っていたそうだ。
でも、そこで何もしなかったら山は荒れたままだし、現に手入れを始めたら山は復活し、閑散期の収益も上がり生活が安定したそうだ。
そして、山が地域コミュニティーの舞台になる例も掲載されていた。林業って、いや山って実に可能性がある、それこそ「宝の山」なのだ。
でも、昔気質の林業者の気持ちも分かる。
今の若い人が合理的に、しかも器用にやって効果を上げている。素晴らしいんだけど、私は「違和感」を覚えるのも事実。今まで人々が培ってきた伝統、文化が置いてけぼりになっている気がするのだ。昔気質の人々の気持ちも大切にしたいものだ。
私はいつも、現代人の合理性の快適さと、昔の人々の伝統を守る誇り(生業の動機)の間で揺れている。
「pen」の特集「移住しよう」を読んでいての「違和感」は、もっと強いものだった。
都会から田舎に引っ越して、定住する。地域の人々に受け入れられ、都会では味わえなかった、人と人との結びつきの大切さを体感する。そんな理想的な成功例が続いていた。
これは間違いなく素晴らしい。特に私よりも若い世代は、人と人とのコミュニケーションに欠乏している面があって、自然とそういう動きとなって人間らしさを取り戻すのも道理だと思う。
実は私は、移住に成功できないで東京に戻ってきた、と言ってもいい。デジタル復元と賞道は自分しかできないので固執していると、地元では到底仕事がない。実に当たり前のことである。でも、家族を養わなければならないので、デジタル復元は趣味にとどめ、普通の仕事に就こうと職探しもした。
同じ時期に東京圏から兵庫へ越してきた他の家族は、今までのキャリアをかなぐり捨てて、地元に溶け込もうと並々ならぬ努力を重ねている。それこそ、地元の伝統やしきたりに気を使いながら。
雑誌にあった成功は、この努力、苦労の部分が極端に少なく、すんなりいったように書いてある。実にスタイリッシュで、軽い。でも、移住の成功はこの伝統との葛藤が上での結果であってほしい。できれば伝統の中にある合理性にも注目できる思慮深さと洞察力がほしい。
結局、移住が成功できなかった人間の、嫉妬である。考えてみれば、この「違和感」95%は、情けないことに嫉妬だ。遠いけれども見えている成功の道を力強く進む人を横目でみながら、成功の確証という目的地のない平原を歩いている人間の、不安の裏返しに過ぎない。
でも、残り5%の「違和感」は、合理性が優先されて、日本らしさ、日本人らしさの根本が後回しになっている視野の狭さに対する危惧なのだ。
それは、ちょうど本当の日本美術の在り様を見失っている現代人が、「わびさび」の見た目に振り回されている姿と似ている。
たった違和感の5%。でも、私にとっては無視できない重要な部分。