「唐が残ってるニッポン」方丈記的ブログ

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昨日、ラジオを聞いていて、日本で中国語教師している陳氷雅さんが実に面白いことを言ってました。


「ニッポンには、唐が残ってるんです」


中国人から見ると、失われた唐が日本に生き生きと残って見える!
着物は、唐の衣装そのもの。仏像、寺院も大切にされ、残っている。漢字もそう、唐時代のものを使っています。そして、漢字の音読みも、唐時代のサウンドを残しているのだとか。(中国の国語学者も、時に日本の音読みから原形を知るのだといいます)そして歌舞伎。中国に京劇があって、歌舞伎のルーツと考えられますが、京劇は一度、途絶えていると言ってました。(ただし、これは唐時代ではありませんね)


これは驚きです。
いや、考えてみれば、あらゆるものを大切にしてきた日本人、昔のままの形で今に伝えるものはきっと多いに違いないと思います。
しかし、矢継ぎ早に大陸から入ってくる最先端文化を日本人らしく消化&昇華して、日本文化を築き上げてきた、と私は思っていたのです。元は大陸だけど、80%はもう日本文化でしょ、という感覚でいたのです。
でも、そのパーセンテージ、50%くらいかも知れません。少なくとも、中国人が唐の時代をビンビンに感じる程に残っているわけですから。



大陸文化は偉大すぎて、早々アレンジができるものではない、とも考えられます。
だからと言って、日本文化に特徴がないわけではありません。アレンジを加えて、輝かしい文化を今に伝えてることも変わりありません。
私が一番疑問に思うのは、日本人の「ありのままを見てみよう」という姿勢が、なぜか日本美術に対しては十分はたらかないところにあります。
大陸からの文化をそのままに受け継いでいた部分が、今まで思ってたよりも大きいかもしれない、と言っただけで、日本美術の価値が低くなるように感じる人もいるかもしれません。
でも、文化の優劣を図る物差しってあるんでしょうか。私は、そこには「人々の営み」しかないと思ってます。
受け入れ、アレンジするものもあったし、そのまま残すものもあった。それだけです。でも、それだから、愛おしい。



反対に、中国の方も、日本に残っている唐の欠片を発見して、自分たちが影響与えたと感じて優位性を感じるのも違うでしょう。
自分たちが大切に残せなかったものが、ここには残されている。それだけ。
残せなかったのも人であり、残したのも人であります。それだけ。
人だから、人のすることはすべて愛おしい。


あ、あと、日本人だから、大切にものを残してこれた日本人には、やはり愛着を感じます。
文化は残っていてナンボですから。