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梅雨入りまじかの初夏を通り越して真夏のような天候の奈良にて、関西賞道が本格的に始まりました。
題材は「山越阿弥陀図屏風」。場所は猿沢の池の裏にあります旅館松前です。
書家でいらっしゃる女将さんが、すばらしい書で案内を表に出して下さり、感動です。





なんだかんだ言って、久しぶりの賞道、久しぶりの作品、そして初めての奈良です。
はじめのうちはさぐりさぐりやっていたためか、緊張はしていないのですがどこか自分でもぎこちない感じでした。





「山越阿弥陀図屏風」は、西の彼方にあった極楽浄土から阿弥陀仏が来迎する様が描かれ、山の向こうから巨大な阿弥陀仏が顔を出しているので「山越え」です。
これは高僧が臨終をむかえ北枕で身を横たえたとき、西にこの屏風を配置します。
仏の眉間には穴があいていて、そこに水晶の球をはめ、西からの夕日を後ろから照らし、光るようにします。
そして、仏の手から出ている五色の糸を、横たえた方の合掌する手に巻きつけ、仏とのさらなる一体感を演出します……
と説明しながら、皆様に実際に身を横たえて臨場感を体感していただきました。(他にも仕掛けがあるのですが、ここでは割愛)





もちろん、照明を落として蝋燭の灯りで陰影礼讃の意味合いも説明しながら、一通り最後の方の体感も終わりまで来ました。
そして終わろうとしたときに、
「ちょっとお聞きしてもいいですか?」
と声が上がりました。
いけない、いけない、質疑応答を忘れておりました。




「下の四天王のうち一人だけ(広目天)が正面を見ていますけど、これはどういう意味ですか?」





あれ、そんなこと考えたことなかったぞ。中世の西洋画なら自画像を群衆に紛れ込ませて、カメラ目線にさせる表現はありますが……。
そんなことなんとなく呟きながら悩んでいると、別の方から質問です。




「臨終の高僧は、本当に身を横たえていたのですか?」




またも、鋭い質問です。改めてそんなことは考えたことがなかったのです。私の見てきた複数の本は、イラスト付きでそう書いてあったので頭から信じていました。
でも、言われて、あっ、と思うことはあったのです。




「実は、スライドで説明した『早来迎』では、迎えられる高僧が座って待っています。もしかしたら、座って念仏を唱えながら待っていたかもしれませんね」





と私が答えると、さらにこんな声が。




「即身仏のミイラは座っていますものね」




おお~、なるほど! だんだん賞道らしくなってきました!
では、屏風に向かって万真ん中に座ってみてみましょう。





そうすると、実にバランスがいい。
寝ていると正面からずれて見上げているので、眉間からの光線を直接浴びることができなかったり、五色の糸もちょっと斜めになって合掌の手に結ばれてしまいますが、正面に座すと光線はまっすぐに目に入るし、五色の糸もまっすぐ自分の手に収まります。一体感が強まるというか、包まれ感が増大したのです。




さらに気が付いたことが。
両脇に書かれている菩薩たちは、屏風の角を手前に折れたところに大きめに描かれているのですが、座して視線がより高くなったおかげで、菩薩たちが一番近くなり、目の前に向かってきている迫力がもうすごいことに!





さらにさらに気が付いてしまいました。




「あれ、この視線は、すでに魂は宙に浮かんで、菩薩の掲げる蓮台に向かっているのかもしれない!」




これはなんという立体感!浮遊感!




そうなると、下に描かれた四天王や童子たちは、地上にいるので小さく見える。
そして問題の広目天は、宙に上がった魂を見つめているのです。
参りました。
魂が阿弥陀仏へ飛んでいく目線で描いているなんて、どんなにバーチャルなんですか!
昔の人の想像力には、ただただ圧倒されます。
(写真を撮るのを忘れて熱中しておりました。またの機会に、実際に体感しにいらしてください(;^_^A)





結局、色々と教わったのは私の方でした。
賞道では、私は題材と機会を提供するのであって、実は参加者が色々と話し合いながら本当の鑑賞方法を探っていくものです。
そういう意味では、いきなり高度な賞道体験をしていただけたようで(させていただいたので?)、それはもう最高でした。