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クリスマスも終わり、今年もあとわずかとなりました。
この一年を振り返りますと、怒涛の「賞道元年」でした。でもホントに充実してました。
皆様に改めて御礼を申し上げます。




私のクリスマスは、何もありませんでした。
でもなんとなく気持ちはほっこりとしていたのです。
実は「ブラタイゾウ 第2弾 〜謎の八角堂を追え〜」を敢行していたので。




と言っても地元の裏山を散策するということなんですが、それでも色々と発見があって面白いのです。
前回は、多摩川から生田へ向かう時に越える、多摩川丘陵について。
で、今回はその道すがら発見した「八角堂跡」という、なんとも魅力的な文字が汚れた地図にあったのが気になって、繰り出したわけです。





多摩川丘陵の途中にそれはありました。
UR都市整備機構のマンションが林立している中に、ひっそりと。
団地の公園が隣にあって、分からない人は公園の一部と思っているかもしれません。それほど地域に同化してました。





実際は、その場所より13.5m高いところにあったのを、団地を造成するのに、今の位置へ移動したとあります。
「なんだ、オリジナルじゃないんだ」と思ったのですが、いやいや、移動したので、礎石などはその時代のもの。
立て札の解説を見ると、なんと平安初期とあります。藤原時代の遺構が関東のこんなところににあるなんて感動ものです。






外側の8つの礎石が確かに八角形になっいて、内側が4つの礎石が正方形。
和歌山県の栄山寺、国宝八角堂とほほ同じ大きさとありましたが、印象としてはそれよりも小さい気がします。栄山寺の八角堂は、奈良時代に建てられ、建物もそうですが内装画が見事で有名です。なのでそれを確認に2度ほど訪れています。(実際はほとんど剥落していて、一見何も見えませんが…)





基壇の石垣が、丸い石で作られるところは、この地方らしい素朴さを感じさせます。あと、時代のが早かったことも。
その一方で八角堂の瓦の写真が案内板にありました。なかなか意匠が凝っています。
このアンバランスな印象が、どういう形で八角堂としてまとまってたのだろう、と想像を巡らす…ああ、楽しい。
きっと、はたから見ると変なおっさんに見えたでしょうね…( ̄▽ ̄)




八角堂跡のそばに「寺尾台城跡」とあります。おお、これも魅了的な響きです。でも地図ではそこまでも道がないので、とにかくその近くまで。
菅馬場保存緑地として管理されている小山のてっぺんがUR、でももともとはそこにあって八角堂があって、そこからちょっと下って丘陵の突端、見晴らしがいいところに城があった、ということかも知れません。





近くまで来てみると、小さいながらもちゃんと道が作られていて、しかもキャンプ場のようなテーブルとベンチまであって整備されてました。きっと、弁当なんか持って来たら、気持ちいいだろうな…
道をたどって奥まで行くと、ここにあったであろう平地に出ました。ここに城があったに違いありません。一見石垣は見えないので、これも平安や鎌倉時代の平屋の城だった可能性もあります。機会があれば、地元の図書館でも行って調べてみます。





木々の間から、川崎市多摩区の住宅街が見下ろせます。
当時は田畑が広がっていたのでしょうか。どんな人が、この地を支配していたのでしょう。おそらくこんな人かな、という人を描いた子供向け小説をいま友人たちと書いています。いつかは発表する機会があると思います。どうぞご期待ください。
それにしてもこういう想像をめぐらせることは、賞道にも役立ちますね。日々精進です。




丘を下りていく途中には古い墓がいくつか。
予想以上に人々の営みが感じられ、また集落としての気配も感じる彷徨となりました。
いつも美術品と語らうことで感じる昔の人との対話をまったく違う角度からも堪能できて、しかも、個人の気配ではなく、複数の、集落の気配を感じることができて、1人だけどほっこりとしたのでした。




それでは皆様、よいお年をお迎えください。