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「秋季・賞道のすすめ」五回シリーズの最終回は「仏像」でした。
今回は仏像フィギュアで、そのあまりの精巧さで仏像ファンも虜にする、「イスム」のブランドマネージャー松川さんをお招きして、色々と商品も展示していただきました。




でもまずは、私のお話から。
今回は「誤解だらけの日本美術」でご紹介した、有名な興福寺・阿修羅像のもとの姿に注目しました。
今や、ちょっとした仏像ファンだったら阿修羅が真っ赤だったことは知っているかもしれませんが、それが枯れて今のような純真な少年のような表情になるには、「奇跡的な枯れ方」の秘密があったのです。
それはつぶさに、変化を見比べないとわからないものです。





今の表情は、非常に憂いに満ちた少年のような表情ですが、復元するとはつらつとした青年の表情です。
少年の憂いの原因は、涙をたたえたような瞳。でも実は、瞳の中にあるハイライトは偶然何かがあたって剥落した跡、つまり、偶然が重なってできた憂いの顔なので「奇跡の枯れ方」というわけです。






原色にもどった真っ赤な阿修羅は、まっかっかのままに正面から見られていたわけではありません。
西金堂という大きな堂の中、向かってやや左手の一番の奥に、ひっそりと立っていました。たくさん林立している仏像たちの一番後ろ、ほとんど闇の中に消えかかっていたといえるくらいです。




しかも堂内の主役といえば、もちろん本尊の如来坐像です。
イスムの松川さんが持ってきてくださった原色の阿修羅が約30㎝だったので、それを原寸の約150㎝との比率から、30㎝の阿修羅に比べて如来坐像がどのくらい大きかったかを割り出してつくってみました。





つくった坐像自体はだいたい50㎝ですが、光背が90㎝。30㎝の阿修羅に比べて、圧倒的な存在感です。しかも金色に光っていたので、まず訪れる人はその如来坐像に目がいくはずです。
どうでしょう、もともとの阿修羅がいかに脇役も脇役だったことが想像できますよね。
ちなみに、上の画像左下に、阿修羅の腕がわずかに見えています。こんな感じだったのでは、と配置してみました。





その原色の阿修羅のほかにも、イスムの仏像フィギュアが並びます。
浄瑠璃寺の吉祥天像、唐招提寺の千手観音菩薩像……。別室には大日如来坐像や、半跏思惟像もありました。
現代人が部屋に小さな仏像と暮らす意味とは何かと、松川さんとお話をしましたが、確かに単なるフィギュア以上の何かを、例えば「癒し」「願い」「安心」を、今の人たちも意識しているような気がしました。
心に響くあたりが、人形ではないんですよね、やはり。





はじめはどうなることやら、と1月から始めた「賞道のすすめ」ですが、春季、秋季とも無事、最後まで大盛況のうち走り抜けることができました。
確信していたから始めたこととはいえ、これほどまでに毎回多くの反響をいただけるとは思っておりませんでした。
これも、関心をもってこの記事を読みに来てくださる方々、もちろん実際に「賞道」に参加していただいた方々のお陰でございます。そして、支えてくださったスタッフ。
この場を借りまして、心より御礼を申し上げます。





来年も「賞道のすすめ」を開催することになりました。11月にはアーツカウンシル東京からの助成のも決定し、来年に向けますます充実した内容になるように計画中です。
これからも、新しい日本美術の鑑賞法「賞道」を、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

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