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いよいよ終盤を迎えております「春季・賞道のすすめ」、今回は「掛け軸」です。私にとっても初めてのテーマで、本当に苦労致しました。

もしかすると、今回の内容に「?」と思われる方もいらっしゃったかもしれません。実際、賞道の後に、恒例になりました受講者の集まりがあって(こういうのが本当に嬉しい)、その集いにまた参加して感想をうかがったところ、反省すべき点が色々と出て参りました。
すぐに反応を聞き出せたり、さらに発展するためのヒントをいただいたり、素晴らしい環境になってきています。感謝しかございません。

私は講座を終えるまで誤解していたのです。
掛け軸と茶道は切っても切れないもの、と信じ切っていました。ですから、掛け軸のお話しをするために茶道のにわか勉強もし、いつもお茶とお菓子をお願いしている先生にも解説をたくさんしていただきました。
もちろんそれは事実ですし、茶道の歴史について知ることは必要でした。しかし、私は必要以上に巻き込まれていはいけない立場だというのが分かりました。
それが、今回最大の発見ですし、収穫でした。

掛け軸はいちど掛けてしまうとそこから動かすことがなく、他の屏風とかふすま絵とかあるいは絵巻物と異なり、触って立てまわす、ということがありません。なので、ダイナミックに「ここから眺めればベストポジション」「こう操作すれば効果的」という鑑賞の仕方が成立しません。
つまり、「賞道的鑑賞法が成り立たない」のです。

そこで、その掛けるまでの(触って操作する)行為に意味があるのではないか、と推測し、軸を掛けたり閉じたりすることを体験していただきました。
特に、裏千家の掛け軸の閉じ方と、私が習った学芸員的しまい方には違いがあることから、裏千家の「お作法としての閉じ方」にある「型の意味合い」に注目して、考察したところ…… これがド壺にはまることになったのでした。
天野さん4
ところが、床の間の掛け軸を「季節の窓」として、季節にちなんだ掛け軸を掛ける行為に(掛ける手順や「型」ではなく、例えば3月に雛人形の掛け軸、5月には鎧かぶとの掛け軸などを掛けていくことで、いつもながらの賞道的「こちらから参加する鑑賞の姿勢」を見いだすことができたのではないか…… と思っています。
銀閣寺、東求堂にある同仁斎を例に出して、障子をあけてできた長方形の向こうに見える景色が掛け軸のような効果があると紹介して、かなりいいところまで来ていたのですが、そこまで結論に至っていませんでした。おしい。
06b同心斉内部S

と同時に「型」についても、もっと深く考えなくてはなりません。
このアイコンとしての機能が、今の日本人とはかなり違っていたに違いありません。もうひとつの言語をもっていたような、そんな感覚だと思っています。
でも、「掛け軸」も「型」も茶道の中で考えると、その深遠なる精神文化に羽交い絞めにされ、冷静な判断ができなくなります。それほど、茶道は大きな力をもっています。

今回のお菓子は、杜若をイメージしています。
ふつう花ですと、天地が逆のほうがそれらしく見えますが、この場合はなるほど、自然をよく観察しているなぁと感心してしまいます。
土田さん3

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